あ、ごめん。わたしも失言。サングリアを飲み干してしまったけれど、向かいのグラスが空くまで待つことにした。
だって、こんな時間は最初で最後かもしれない。あの夜、キスをした瞬間からそう思っている。わたしたちは、ただの同僚だ。
「渋い、っつうか、男から見ても色気があるっつうか」
「東にはないものだ。わたしと一緒」
「おまえと一緒にするなよ」
「可愛げと色気が足りないところは一緒でしょ」
わたしは東に、嘘ばかりついている。
あの夜の、熱のこもった目と掠れた声。甘いシトラスの隙間から漂っていた男の匂い。ひとたびワイシャツのボタンを外せば、隠された彼が溢れ出しそうで怖かった。
「おんなじこと、言われたの。それまで、自分に可愛げがないとか色気がないとか、考えたこともなかった」
子どものころから痩せているほうだという自覚はあった。だけど、それが色気云々に結びつくとは想像もしていなかった。
どんな女の子も年頃になれば、等しく恋をして彼氏ができてキスをして、その先を経験するものだと思っていた。恋とは絶対に楽しいもののはずだ、と。
「誰に?」
「初めて付き合った人」
彼氏とは、無条件に「好きだ」「可愛い」と言ってくれるものではなかったらしい。わたしはそれを、21歳の夏に初めて知った。
「薄くて固くて、女って感じがしなかったんだって」
初めての彼氏は大学の同級生だった。
学科は違ったけれど友達の紹介で知り合って、映画を観たりご飯を食べに行ったりした。
初めてキスをしたのはデートの帰り道、
自分の身体が一気に嫌いになった。手で軽く覆えてしまえるくらいの大きさの胸も、平らなお尻も、どちらかといえば気に入っているパーツだった鎖骨も、「細くてまっすぐでいいね」と褒められたことのある脚も。
彼氏にセックスをしてもらえなかった。それだけで、女としての価値がないように思えた。
東だって同じだ。結局、わたしは──Side 隆平
「ゆっくり飲む、って言ってたのはどこのどいつだよ」
「東のペースに合わせてたらつまんないもん」
「だから、俺を酒弱い扱いするなっての」
高瀬とは最寄り駅が一緒だ。地上に続く階段をやっと上りきり、ふらつく細い身体に目を遣った。
こんな姿を見るのは初めてかもしれない。少なくとも酒に呑まれるタイプではないし、酔って
わたしのマンションは駅の2番出口、東のマンションは4番出口が最寄りだ。北と南で方向は真逆。だから、いつもは改札を出たら「また明日」と分かれていた。
夜風が湿気を連れてくる。あと少しで7月だ。
ここ数年、6月よりも7月のほうが天気が悪い。いわゆる「蝦夷梅雨」というやつで、ぐずついたはっきりしない天気が続く。
するつもりのなかった打ち明け話をしたことが恥ずかしくて、グラスに手を伸ばしては次々とお酒を注文した。話題はいつの間にか仕事の話に移っていて、東はきちんと自分のペースを守って飲んでいた。
今度こそ、あの夜みたいな
「じゃあ、壁によしかかってろよ。そんなヒールの靴で転んだら骨折するだろ」
「……しないし」
「 酒ばっか飲まないで飯も食えよ。おまえに倒れられたら困るからな」
「 ……食べてるし。ていうか、東よりずっと健康的な食事してるし」
仕事に没頭するあまり、お昼を抜いてるときがあるでしょ。食べてるかと思えば、カップ麺とか菓子パン。せめて社食で食べなさいよ、と言いたくなる。
茉以子にするみたいに、お弁当のおかずを分けてあげられたらいいのに。そんな間柄に、なれたらいいのに。
「部屋、どこ?」
「角部屋。廊下の突き当たり」
駅からマンションまでの間、早く着いて、って思った。だけど、永遠に着かないで、とも思った。
この夜を引き延ばすには、どうしたらよかったのだろう。
すっかり更けて、もうすぐ日付が変わる。もう、こんなふうにふたりで飲むことはないんだろうな。
明日になればまた職場で顔を合わせて、たまに一緒に外勤に行って、チームみんなで残業して、飲み会で世間話や仕事の話をする。いままでもそうだった。きっとこれからも、そう。
「水飲んでしっかり寝ろよ。明日、遅刻しないように」
「……うん」
顔を上げると、丸っこい目と視線がかち合った。羨ましいくらいのぱっちり二重。わたしもこれくらい可愛かったら、もっと自信が持てる人生を送れていたのかな。
羨んでばかりだ。自分以外の人のことを。わたしが可愛くないのは、誰かのせいじゃない。全部、自分のせい。