になるのだから。
「」
おれをおしのけた副長は、地に片膝ついてひかえている俊冬のまえに立ち、みおろしている。魚尾紋消除 呼びかけたその声は、震えているというよりかはすでに涙声になっている。
「おかえり」
つづけられた副長の言葉。
心の底からの言葉である。それが、はっきりと感じられた。
正直なところ、これほど心のこもった「おかえり」はいままでにきいたことがない。
おれのうしろで、島田が号泣している。「ずずずずずっ」と鼻をすすり上げつつ、わんわん泣いている。蟻通も、声を殺したいのに殺しきれておらず、ときおり嗚咽をもらしつつ泣いているようだ。
いつの間にか、うしろにいたはずの斎藤が肩を並べていた。どんなときでも、たいていはさわやかな笑みをみせるかれも、いまは流れ落ちまくっている涙を隠そうとせず、流れ落ちるに任せている、そのを伏せている俊冬に釘づけになっている。
「をみせてくれ。いつもいっているだろうが。おれに控える必要などないんだ。仲間なんだからな」
副長は、笑いながらいいたかったんだろう。ジョークっぽくいい、この湿っぽい空気を循環させたかったんだろう。
その努力の甲斐は、まったくないといっていい。
全力で失敗している。
これだったらもう、ひらきなおって泣き叫びながら抱きついた方がよくないか?でっ、おれたちもその周囲にあつまり、泣きまくるのである。
そんな創作上のベタな再会シーンは、リアルな世界の第三者からすればイタすぎるのをとおりこすだろう。
「その……」
しばし、おれたちの泣き声や鼻をすする音だけが木々の間を流れていたが、やっと俊冬がを伏せたままかぎりなくちいさな声でいった。
そのみじかすぎるフレーズだけでも、かれもまた泣いてていることがわかる。
「ご報告、したき儀がございますゆえ……、恥を忍び……、まかりこしました」
泣いているがために、おしゃべり上手であるはずのかれの言葉を幾度も途切れさせてしまう。
それにしても、俊冬もまた素直に「会いたかったーっ!」っていわずに、「報告を」ってもちだしてくるところは、「さすが俊冬。あっぱれじゃ!」としかいいようがない。
もしかして、弟にたいして強がっているんだろうか。『クールで強い兄』像を貫きとおしたいのだろうか。
だとすれば、兄貴ってマジで大変なんだなってあらためて感じてしまう。「おききください。近藤局長のは、京の三条河原にて奪取いたしました。わたし自身が運ぶつもりでございましたが、ちょうど原田先生方と出会い、話し合いました。そして、親分に会津に運んでいただくようお願いすることにし、託すことにいたしました。親分は、かならずや無事会津に運び届けると約定してくださいました」
小鉄親分とは、「」のことである。本名をといい、京の侠客である。
現代にまでつづく博徒系指定暴力団組織「小鉄会」は、この小鉄親分が結成したのである。
とはいえ、のこの任侠集団は、指定暴力団組織としてマークされていたり、ことあるごとにたたかれるわけではない。
以前、小鉄親分たちとは何度か接触したことがある。
かれらは、往年のヤクザ映画そのまんまの「」っぷりであった。
それは兎も角、江戸のは江戸幕府最後の将軍に尽くした侠客として有名であるが、「会津小鉄」は、その二つ名のとおり会津藩と所縁のある侠客なのである。
その「会津小鉄」に託してくれたのなら、まず間違いないだろう。
じつは、近藤局長の首級の行方ははっきりしていない。現代においてでも、いくつかのせつがあるだけで、確実なことはわかってはいない。
京の三条河原でさらされた後、行方しれずになったのである。
ちなみに、京のどこかに葬られたという説や、という愛知県にある寺に届けられ、そこに葬られたという説などがある。
が幼少時によみかきを学んだ寺として有名である。そこに、近藤局長の首塚があるという。
京で葬られたというのなら、まだわかる。しかし、愛知県の寺にということになると、『なんでそんなところに?』ってなるだろう。
その経緯であるが、京で近藤局長の首が晒され後、斎藤がそれを奪って法蔵寺の住職になったばかりの人物に届けたとされている。
当然のことながら、それはあり得ない。なぜなら、斎藤はその時期は間違いなく会津で戦っている。
矛盾はそれだけではない。みつかった墓碑の台座に刻まれた名に、土方歳三以外には新撰組の隊士の名が一人もない。さらには、新撰組の関係者の名もいっさいないらしい。
伝習隊など、直接関係のない人物の名ばかりだという。
そういったことから、この説は疑問視されている。
最近、といっても現代でいうところの最近であるが、「会津小鉄」の
法蔵寺は、かの