「儂の側に付くということは、即ち、あの蝮の親父殿を…斎藤家を捨てるということなのだぞ?」
「……」
「そなたにそんな真似が出来るのか?」https://www.liveinternet.ru/users/freelance12/post506058134// https://plaza.rakuten.co.jp/aisha1579/diary/202406260002/ https://blog.goo.ne.jp/debsy/e/a767d320cb4738c58d2de93c7a4fdfa6
目尻に皺を寄せながら、余裕を交えた口調で信長が訊くと
「あなた様が私を信頼して下さるのであれば──ええ、喜んでそう致しましょう」
濃姫は迷いもなく言い放った。
『馬鹿な!』と叫びそうになるのを、信長は必死で飲み込んだ。
本来ならば実家を第一と考えて、密かに婚家の情報を伝え、何か事が起こった時には全力で実家の為に動くのが、この戦乱の世の奥方の常なのである。
特に濃姫のように敵国から嫁いで来た女性ならば、それこそ間者のようなもの。
実家を守りはしても、捨てることなど容易には出来ないはずである。
にも関わらず、斎藤家を捨てると言い切った濃姫の心が、信長にはまるで分からなかった。
「…解せぬ…。…そなたは、己の生家よりも、儂の信頼を得る方が大切だと申すのか !?」
「はい。──まぁ、そういうことになりましょうな」
首肯する濃姫の面差しに、清々しい程の笑みが綻ぶ。
「何故じゃ」
「 ? 」
「たかが儂ごとき男の為に、何故そのような…」
「何故か──そうでございますね」
濃姫はふと考え込むと、今度は可笑しそうに破顔した。
「確かに、何故でございましょうな? 改めて考えてみると、自分でもはっきりとした理由は分かりませぬ」
「何じゃそれは」
信長が呆れたように眉を寄せると、姫はふふっと小さく笑ってから、どこか儚げな面持ちで遠くを眺めた。
「ただ──強いて申し上げるのならば、殿に、希望を感じたからでしょうか」
「希望、とな」
「あなた様の行動を見、言葉を聞き、この国を豊かになさりたいというお考えを知り…。
このお方にならば、己の一生を託しても構わぬと、そう思い及んだのでございます」
「──」
「人の心の機微は複雑なものでございます故、あまり上手くは申し上げられませぬが、
私はきっと、織田信長という男の持つ、未知なる可能性に惹かれているのだと思います」
「…お濃…」
「殿ならばきっと、常識という型の中で生きてきた私に、今までにない清新な世を見せてくれる。
道理に囚われない殿ならではの、斬新なやり方で、いずれ天下を取って下さるはずだと──濃は信じているのでございます」
まるで濁りのない美しく澄んだ瞳で、濃姫は静かに夫の細面を眺めた。
「……天下、…天下か」
姫の放った一言を重々しげに暗唱すると、信長はサッと立ち上がり、右手の障子の前へと進んだ。
そして自分の肩幅くらいに障子を開けると
「お濃。儂はな、理想などではなく、まことに天下を取ろうと考えておるのだ」
降り頻る小雨を見つめながら、信長は心組みも固く述べた。
夫の白い夜着の背に視線を送りつつ、濃姫は一瞬驚いたように両眉をつり上げる。
「無論 尾張一国もまだ手中に出来ておらぬ儂には、天下などまだまだ遠い先の話じゃがな」
「…天下、それが殿の夢なのでございますね」
「いや、儂の夢はもっと壮大じゃ。日の本は広い。じゃが大海原の向こうには更に大きな世界が広がっておるのだ。
儂はその世界が見たい…いつかこの手の中におさめてみたいのじゃ。この国の天下など、それを得る為の足掛かりに過ぎぬ」
濃姫は言葉も出なかった。
まだ十六の若き夫が、日本のみならず、見たこともない外の世界にまで目を向けているのだ。
『 やはり殿は面白い──。私の予想など軽々と飛び越えてしまう 』