座敷の外に控えている信長の従者たちは、思わず緊張の面持ちになって様子を窺っていたが、無論何事も起こらない。 信長は飲み干した杯を膳の上に置くと、今度は自らが銚子を手に取って 「どうぞ、親父殿も一つ」 と、道三の杯に一献傾けた。 「これは忝(かたじけ)ない」 有り難く御酒を頂き、信長と共に、出されていた湯漬けをさらさらと食すると 「──ではな、婿殿。また近いうちにお目にかかろう」 道三はもはや成すべき事は成したとばかりに、早々と席を立った。 これにより、舅と婿の緊迫の初対面は、結果として滞りなくお開きとなったのである。 道三が座敷から退出しようとすると 「送り申しまする」 そう言って信長も立ち上がり、https://mathewanderson7.pixnet.net/blog/post/154283644 https://debsy.e-monsite.com/blog/--2.html https://www.evernote.com/shard/s514/sh/c0dc6750-cc6f-868d-a529-7ebc47931155/KtrrzlX7Tl23A6rRmrYb3TLo5ZpI5qRgu_Seq4YqlOwE2creb7JMOL0mVQ すかさず舅の背に続いた。 道三と信長、そして道空や丹後といった数多の家臣たちが、寺の玄関を目指してしずしずと長い廊下を歩いて行く。 すると、先頭を歩いていた道三が、庭先に目をやりながら、ぴたりと立ち止まった。 「ほぉ…。見事な紅椿よのう」 「椿?」 信長が道三の視線の先に目をやると、なるほど確かに、庭の片隅にひときわ美しく咲き誇る椿の木が窺える。 真っ赤に染まった花弁が、まるで漆を塗ったように艶やかで、作り物のような独特な華やかさがあった。 「いや、他愛もない事なのじゃが、我が稲葉山城・麓の館の庭にも、あのような紅椿が咲いておってのう。 奥向きで育てておるのじゃが、色付きが今一つ故、この時期になると妻の小見が“色が悪い、色が悪い”と嘆くのよ」 「左様にございましたか」 「あれほど鮮やかに色付いた椿ならば、小見も喜ぼうものを」 道三が独り言のように呟くと、ふいに信長は思案顔になり 「少々お待ちを」 と、何を思ったのか、裸足のままサッと庭先に飛び降りたのである。 信長はすたすたと紅椿の前へ進むと、既に腰に小刀を身に帯びているにも関わらず、 肩衣の袖の中より、また別の刀を取り出して、椿を一枝、二枝、三枝と手際よく切り取っていった。 椿の花の束が出来ると、信長はそれを懐紙でくるみ、またすたすたと縁へ引き返した。 平然とした顔で戻って来る娘婿を、道三が眉根を寄せながら見つめていると 「どうぞ、これをお持ちになって下さいませ」 信長は縁の上の道三に、紅椿の束を差し出した。 「住職殿には某より詫びを入れておきます故、これを美濃にお持ち帰り下さいませ。きっと、小見の方様も喜ばれまする」 思わず道三の頬が緩んだ。 「我が妻の為に、そのような気遣いを…」 「某にとって小見の方様は義理の母上にあたられるお方。美濃までご挨拶に参るのはなかなか難しゅうございます故、せめてこれをご挨拶代わりに」 「ふふふ、小憎らしい事を。…じゃが、婿殿のお気持ちはしかと小見に伝えておこうぞ」 そう言って道三は、機嫌良く椿の花束を受け取ったが 『 …っ!? 』 信長の片手に、握り絞められたままになっていた刀を見るなり、わっと双眼を広げた。 金で二頭波の紋が彫られたその刀は、間違いなくかつて自分が所持していた物。 濃姫に譲り渡した、あの短刀である。