「お慈(ちか)殿───こちらは、殿のご側室にして、これにおわす二の姫様のご生母・お養の方殿じゃ」
乳母に抱かれた冬姫に目をやりつつ、濃はやって来た女に、お養を有り体に紹介した。
“ お慈 ” と呼ばれたその女は、口元に笑みをほころばせながら、ゆったりとお養に会釈する。
「お養殿。こちらへ参られたるは、お慈の方殿。まだ御子は成しておられぬが、殿の思し召しにより、新たらしゅうご側室の列に加わったお方じゃ」
濃姫の紹介を受けて、お養は軽く一驚すると、
「まっ、左様にございましたか。…これは失礼を致しました」
慌ててお慈に会釈を返した。https://slides.com/debsyking/deck-bc2adf https://www.haggadot.com/clip/meditation-42-12-441008 https://pharmahub.org/members/36877/collections/favorites
「何もそのように畏まる必要はありませぬ。姫君のご生母であるお養殿の方が、この者より上席なのですから」
濃は小さく微笑(わら)うと
「と言うてもお慈殿は、新参という訳ではありませぬ故、この織田家のこと、殿のことはお養殿よりもようご存じやも知れぬな。
──おお、そうじゃ。お慈殿、後でお養殿に城の中を案内して差し上げよ。今日は良い天気故、庭などを散策致すのもよろしかろう」
やんわりとお慈に告げた。
「承知致しました」と、お慈が鄭重に承ると
「…あの、それはどういう…。お慈殿はいったい…」
今一 事情が掴めなかったのか、お養は困惑気に眉をひそめた。
「お慈の方様は、殿の御家臣・瀧川一益殿の縁の者にて、元はご嫡男・奇妙様の乳母( 慈徳院 )であられたお方にございます」
控えていた千代山がさりげなく述べた。
「奇妙様が清洲の城へ移られてより、長らくその乳母として仕えておられましたが、今では殿のご寵愛を賜るお身の上となられ、城の離れにお住まいにございます」
まるで書類を読むような、淡々とした言い方で千代山が語ると
「───奇妙様の乳母の身から、畏れ多くも殿のご側室に昇格なされるとは、ほんに大変なご出世」
「───瀧川殿のことを様付けで呼ぶ日が来ようとは。人生とは分からぬものにございますなぁ」
ふいに濃姫の付きの侍女たちが、皮肉混じりに呟いた。
「お慈の方様に任せられていたお役目は、奇妙様のお世話であったはずですのに」
「まさか我らの知らぬところで、殿のお世話までなされていたとは。ほんに浅ましい」
「………」
お慈は言い返すこともなく、唇を固く噛み締めながら、悄然とした様子で俯いている。
お養も心配になって、思わず俯くお慈の横顔を見つめていると
「控えよ!!」
濃姫が侍女たちに向けて、鋭利な眼光を注いだ。
「揃いも揃って、何というはしたなきことを申すのです!」
主人の激昂に、侍女たちは慌てて平伏の姿勢を取る。
「お慈殿をご側室にと所望されたのは、他でもない殿ご自身じゃ。この者一人に恨み言を申すのは筋違いであろう!?」
そう厳しく叱り付けると
「お慈殿、許してたもれ。城内にお手付きとなった者がおわすのは初めてのこと故、皆々気が立っているのです」
濃姫は相手の気持ちを忖度するように言った。
それを受けて、お慈は瞬時にかぶりを振ると、目前の畳の上にサッと両の手をつかえた。
「いえ…、お気遣いいただき忝のう存じます」
「良いのじゃ───。 それよりもお養殿、お慈殿。共に殿のお側で仕える者同士、これよりは仲良う致されよ。
奥向きの安寧を守る為にも、くれぐれも、嫉妬や小競り合いなどは致さぬよう。よろしいな?」